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幼稚園って必要だろうか?

ヨメがよく幼稚園について、考えている。
(ヨメの日記 続・幼稚園について考える幼稚園について 考える 参照)

私は、基本的に、行かないほうが良いと考えている。なぜならば、シュタイナー的に7歳までは、両親との愛情を育てる期間とされているから。

また、キリスト者共同体司祭 小林直生さんの講演で、愛には4つの段階があり、

  • アガペ 神愛(見返りを求めない愛)
  • フィリア 友愛(博愛)
  • エロス 性愛
    (1対1の愛、正反対のものが引っ付いて新たなものになる。H + OH →H2O)
  • ストルゲー 肉親愛
    (血族・民族・愛国心・同じものを愛する・いじめの元)
という、下から順々に段階として成長するもの。ストルゲーは普通あまり言われることがないが、それは基本的な愛だからであり、これが正常でないと、性愛(結婚)や友愛(思いやり・助け合い)などは育ちようがない。(神愛は神にならなければ実現しない愛なので人間としては無理っぽい)


幼稚園に行かせるお金の余裕がないという事情もあるが、基本的に幼稚園は、働く親が子どもの世話が出来ないから仕方なく預ける場所として始まったところ(核家族でない大家族の頃は、おばあちゃんが預かって、昔話やメルヘンなどを聞く)だろうから、自宅が仕事場の我が家では預ける必要はない。

私自身、幼稚園に通って、よい思い出がない。他人に対する恐怖症みたいなものを体験した場所としての思い出しかない。


そんな時、普通の幼稚園に行っているだろうと思われる息子と同い年(4歳)の子どもと遊ぶ機会があった。

最初は、息子は、恥ずかしがって、私のところに来ては、その子が走り回っているのを眺めていた。そのうち、一緒に走り出した。後を付いていって、一緒に走っているだけで、大喜び!大きな声で騒ぎながら、追っかけている。やっぱり同年代の子と遊ばせるのがいいのかな?と思っていると、その子は、早く走って勝つことだけを目的に走っているのが分かる。

そのうち、その子が「戦おうぜ!」と言って息子に迫ってくる。息子は、意味が分からず、嫌がって私のところへ逃げてくる。それでも、その子は、息子の足を引っ張って、私から引きずりはがそうとする。息子は私にしがみついて必死に抵抗する。うーん。どうしたものか?と見ていると、しばらくして、その子は飽きて、自分のお姉ちゃんのところ行ってしまった。

お姉ちゃんは、バックいっぱいに入っている「たまごっち」みたいな携帯するゲーム機で遊んでいて、その子もゲーム機で遊びだした。そうなると、息子も興味津々で、その子の頭に自分の頭を押し付けながら覗き込む。今まで、抵抗していたことなど二人とも忘れている。

やっぱり普通の幼稚園は行かせない方がいいと実感した。

心理的な実験として、「遅出しじゃんけん」を思い出した。じゃんけんをするのだが、相手が出してから、自分が負けるようにじゃんけんするというものだ。でも、無意識で勝つようにしか出せない自分がいることに気づく。たぶん、小さい頃に、勝ち負けという概念が重要な意味をもっていたので、潜在意識として負けるようには出せないのだろう。多分、息子は、将来、自分の意思で意識して、勝つようにも負けるようにも自由に「遅出しじゃんけん」が出来るのではないかと思った。


普通の幼稚園は、現代社会の異様な犯罪の温床なのかもしれない。
(お金を払って預けているのだから要望を聞くのが当たり前と考える親の意見を、そのまま、幼稚園の運営にするのであれば、一番危うい場所かもしれない。親の要望→幼稚園の運営方針→子どもへの影響。[親が無理難題を出すことが多いらしい] 昔は、働いていて子どもの世話が出来ないので、預かってくれて「ありがとう」という気持ちで預けていたであろう。結局は親の考えが子どもにそのまま現れるのは変わらない。親の世代が、一般的な社会構造が、おかしいということだろうか。)

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